個性と階級社会

時々聞く事で、よく戸惑う事があります。

人とおなじじゃつまらない、とか、個性的でありたいと思いますか?
ということ。

多分、幼稚園くらいはそういうことを考えてた記憶があります。
でもそれ以降は、自然に自分でいる事が常に周りから少し浮いていて、すり合わせる事にいっぱいでした。

今はそこまですり合わせをしてませんが(笑)

じぶんって変わってると思いますか?という人からの質問は、非常に客観的に、「周りにそう言われるからそうだと認識しています。」という回答しかないです。

アメリカ滞在中に楽しかったことは、自己の価値観を話しても、否定でも肯定でも共感でもなく、それをそれぞれとして受け入れる土壌がある事でした。

日本は無理にでも周りと調和させようとする。
調和できないのは、異端。
その和の世界も大好きだけど、単独で立てる楽しさがあった気がします。
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因みに逆にニューヨークは棲めない…と思ったこと。

階級社会であることが街でハッキリと分かれていること。
数本通りを隔てると、高級ブランド界から、一般飲食店の界隈に。
ブロックがかわると丸ごと中国の下町から、整備された公園に。綺麗なアメリカのレンガのおうちに。

その余りの階級を隔てる壁の露骨さにぎょっとしました。

貧富ではなく、階級の差。
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なかなか詳しい旅日記はかけませんか、こういう事を感じた旅でもありました。