やれること、祈り

今日はたくさんの命が亡くなった日。

3月11日当時、愛知にいてさえ恐怖はとても強く、しばらくたくさんの事が出来なくなった。
絵もしばらく描けずやっとかけたものがこれだった。

私は転勤族として育ったため、ふるさとという意識がなく、土地への愛着もよくわからない。
ただ、今日がこんなに寒い日なのが私は辛く感じてしまう。

そうなのだ。

私は今も福島に居て、頑張る方々に気持ちが寄り添えない。
共感ができない。

だから遠くからうっすらとした、応援をする。
金銭だったりギフトを人に託す。
私は直接支援できない。
気持ちがついていかない。

それも有り方なんだろうけど。

私は暖かな場所を人にも、すべての生き物にもあげたい。
私ができる事、その一翼はきっと絵だ。

私の絵は、生命であり、力であり、祈りである。

私の絵のこどもはまだ硬い表情を浮かべている。

甘ったれたくらい、ぬくぬくとした幸せを。

きっと私はこれからも遠くから細細と金銭を送ったり、アートを贈るにすぎないだろう。
でも幸せを送るためには私はそれが良さそう。

なんだかまとまらないけれど。

そう思う雪の朝だった。